ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ: 料理



横浜は関内のプラムでランチ




プラムは関内にあるレストラン喫茶。


外観、内観ともに 昭和レトロな感じがとてもいい。


よく行くお店の一つ。


チキンカツ定食を頼む。




ここの丸ごとチキンを揚げたサクサク感がたまらない。


ランチファースト


毎日、仕事、仕事で朝早くから夜遅くまで働いてるサラリーマン。


サラリーマンにとってはランチの時間が唯一の楽しみです。


隣の同僚など朝くるそうそう今日はなに食べようかと話す。


仕事の話しではなくてランチの話しが、まずファースト、ランチファーストには困ったもんである。


昼のランチはワイルドチキンを食べたため、お腹も満腹。


ふっ‼︎


カロリー取り過ぎである。


これではいつになったらメタボが解消するのやら。




ところで、食事でお腹いっぱい食べられるのは現代だけだと知ってました。


江戸時間の食事は今と違って貧相なものでした。


商人の場合


幕末百話にある糸店丁子屋の丁稚奉公をしていた小僧の話


「毎日の食事ですか、朝は365日御味噌汁、昼は魚の安い時がお頭付、大抵は精進です。晩はお定まりで新漬のお香物ばかり、滋養なんかというものはありません。旦那とて別に変わりません。朝はおつけのお初をあげ晩おさしみがつくくらい。」


武士の場合


大名の普段の食事は簡素であまり変化のないものであり、一汁一菜、一汁二菜が普通でした。


幕末のある大名の日常の食事


・朝 ご飯、汁物(味噌汁など)、煮豆


・昼 ご飯、汁物、がんもどきと長芋の煮物


・夜 ご飯、汁物、酢貝


このメニューをみると一汁一菜です。一汁二菜の場合は焼魚か野菜の煮物が入る程度でした。


大名の日常の食事ですらこんなものでしたので、江戸時代の武士の食事も以下のようになります。


朝はご飯とみそ汁と漬物、昼や夜は朝の残りに野菜の煮物や干魚を焼いたものなど1~2品のおかずがついた程度でした。


禄高の少ない武士は毎日白米を食べられるほど米をもらえないので、雑穀を食べることがありましたし、野菜なども家庭菜園でつくることもありました。


このように江戸時代の武士の食生活はかなり質素なものでした。


なんだか、現代のサラリーマンはこんなに美味しいものばかり毎日食べて昔の人に申し訳ない気分です。


ほんと毎日の食事に感謝です。


でも、サラリーマンはランチファーストなんですかね。





1872年の明治維新の時代になると開国された港、横浜や神戸には現在の中華街が出現しました。


その当時は中華街は南京街と呼ばれていました。南京街に数軒の中華料理店があったと言われています。









そこで作られた『南京そば』がラーメンの起源です。



南京街にあったことからも、ラーメンとは呼ばずに、南京そばと呼ばれていました。



南京そばは横浜から地方へといろんなところで作られたようです。





 


1884年(.明治17年)当時の函館新聞によると、函館の「養和軒」という店が、広告欄に「南京そば」発売と宣伝しています。








やがて、明治中期頃から横浜で次々と「南京そば」の屋台が開業しました。




屋台で気軽に食べられる中国風そばです。



1910年(明治43年)には、横浜税関を退職した尾崎貫一が南京町(現・横浜中華街)から中国人コックをスカウトして、東京の浅草にラーメンをメインにした庶民的な中華料理店「来々軒」を開店しました。



これが『ラーメン屋』の始まりです。



味は醤油スープで、1杯6銭(2007年現在で約300円相当)という値段も手頃で連日行列ができる人気は1976年(昭和51年)に暖簾を下ろすまで続きました。



それから、札幌ラーメンは1923年( 大正13年 )「竹家食堂」の創業で始まります。ただし、これは味噌ラーメンではなく、醤油ラーメンがメインだったとか。この竹家食堂は、神戸市で「竹家」として続いています。



1925年( 大正15年 )には喜多方で「源来軒」が(これが喜多方ラーメンの最初)開店しています。



1937年( 昭和12年 )には九州で「南京千両」が開店。こちらは屋台で、しかも今も屋台で続いているとか。南京千両、すなわち南京占領とかけた名前ですね。1937年ですし。で、この頃から戦中・戦後すぐにかけて京都や高山や和歌山、尾道でラーメン店が次々と開業。


1955年( 昭和30年 )に札幌の「味の三平」で、大宮守人氏が味噌ラーメンを開発し、これが今の札幌ラーメンにつながります。



同じ年に、中野「大勝軒」にて、山岸一雄氏がつけ麺を開発します。その後、東池袋大勝軒で「もりそば」と言う名で大ヒットし、その後数十年にも渡って行列を維持しているとか。



そして現代も次々と新しい『ラーメン』が出来ています。

ラーメンが「麺料理」で無くなる日





ほんと日本人て『ラーメン』が大好きなんですよね。




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酢豚にパイナップルが混入したニュースがあった。


えっ

酢豚にパイナップル

あたりまえじゃないか

どこが混入なの?





酢豚にパイナップルが入っていても不思議はないんだが

私も以前、酢豚にパイナップルが入っていてなんでと思ったことがある。

でも食べてみると口の中が爽やかになりそんなに悪くない。

それ以来、酢豚にパイナップルが入っていても気にならないようになっている。






調べてみると酢豚にパイナップルを入れるにはこんな良い理由がある

①味をサッパリさせる。
②消化吸収を助ける。
③肉を柔らかくする。
④植物繊維が多く健康に良い。


なんだいいことだらけではないか

横浜中華街では40軒中23軒が酢豚にパイナップルが入っていたようです。


中華街では半分以上がパイナップル入り。

なんだか酢豚にパイナップルが入ってない方が不思議なのかも。

あなたは、酢豚にパイナップルは好き?嫌い?



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好き嫌いのない私だが

ロールキャベツはどうも?







しなしなのキャベツ‼︎

( キャベツはシャキッとせんかい )

中に小さなひき肉の塊りが‼︎

( 肉はガッチリ、ドデットせんかい )

食べると

キャベツが口の中で

グニョン、グニョン

なんかたまらん






あかん

好きになれん

これにトマトソースか?

気分が悪くなった







ところが、ロールキャベツの大好きな御仁

毎回ロールキャベツが

誰も自分と一緒でロールキャベツが好きなものと思っている。

今日もロールキャベツ

ついに一言、言ってやった

「あんまりロールキャベツ好きくないんだけど」






ああ、

世の中へんな食べもの好きな人がいるもんだ



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