ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:わろてんか > 林正之助


「わろてんか」は「笑い」がテーマのドラマとなっています。


17pt;'>NHK連続ドラマ「わろてんか」では主人公てんの北村笑店のモデルは吉本興業です。


「笑い」って不思議ですよね。


動物ではゲラゲラ笑うのを見たことがないのですが、人間っていろんな場面でつい笑ってしまいます。


なぜ人間だけが笑うのでしょう?


人間だけが笑うというのは間違いのようです。


現代の科学では人間だけが笑うという説は否定されていて、大体のほ乳類が笑うとされています。


猿の仲間はほとんど、犬も笑うみたいです。


犬って笑うんでしょうか?


ほら、ワンちゃんのお腹を撫でると気持ちよさそうにするでしょ。


あれが、くすぐりの笑いです。


なるほど。


ということは言葉がわからなくても笑いというものは存在するわけですね。


「笑い」はコミュニケーションの手段としては原始的で、言語によるコミュニケーションの前段階にあるのです。


「笑い」の方が「言葉」の前に存在していたようです。


人間と動物の笑いは違ってます。


人間って動物と違っていろんな「笑い」を持っています。


いいかえると高度な「笑い」です。


ふくみ笑いがらあったり、にあにあ笑ったり実にいろんな笑いかたをします。


その高度な笑いについてですが、人間はどういう時に笑うのでしょう?


以前は、ギャップで笑うとされていました。たとえば政治家がコケるとします。


われわれは政治家みたいな人がコケると思っていないので、そのギャップで笑うという説が有力でした。


現在は「ギャップ説」は否定されています。


自分の間違いを笑うというのが現在の学説。


つまり政治家はコケるはずがないという、自分の思い込みが外れたことを笑うわけです。


自分のことを客観視、相対化していないと笑えないわけだから、確かに高度です。


笑う人は頭がいい。


頭がよくないと自分のミステイクに気付かない。


バラエティ番組を見ているお子さんの知能は発達している、という調査結果もあるぐらいです。


どの地域でも、アニメや教育番組より全然いいらしい。


笑いは体にいいという話も聞きます。


笑いは健康に良い


笑うと、眼窩の上にある前頭眼窩皮質が働いて、エンドルフィンや成長ホルモンを出します。


これが心臓にも血管にもいい。


糖尿病の治癒効果もある。


笑うことで、ストレスが吹き飛ぶ気もします。


エンドルフィンは体の痛みを和らげると同時に、心の痛みも軽くしますから。


昔から、笑うと血流が増えて免疫力が強化されるのはわかっていました。


笑いの力はもっとすごい。


遺伝子の発現まで変わります。


DNA の情報から蛋白質が作られて、それが細胞となって体内で機能する過程が変わる。


笑いのほかに、遺伝子まで変える人間の行動形態ってあるのでしょうか?


ないですね、特別な訓練をすれば別ですが。


人間の笑いが高度に進化したのは、脳と体の健康のためという理由がひとつ。


恋愛のためと社会協調性を高めるためです。


笑顔で異性をひきつける、と。


ただし、女性は男性の作り笑いを見抜くけれど、男性は女性の笑顔にダマされる。


女性は結婚した後で失敗に気付いても、子どもが作れないタイミングになっちゃう。


だから鋭い。


社会協調性を高めるためとは?


簡単です。


互いに笑えば絆が強まり、無駄な争いをしなくて済みます。


まとめると、笑う人は頭がいい。


笑いほど脳と体にいいものはない。


笑いは恋愛においても社会においてもコミュニケーションの大事なツール。


笑いの力ってすごいんです。


まとめ


NHK連続ドラマ「わろてんか」の風太のモデル林正之助は


「世の中で体の中の毒を消すことができるのは,薬と笑い。体に効く薬と違って,心に 効く笑いは副作用の危険もないから,ええことずくめや」


笑いに関する自らの経営哲学 を語っています。


そして,大衆に「笑い」を提供するに際して


「大衆と共に生き,大衆に奉仕するこ とをわれらの誇りとしわが社の使命とする」


という精神を芸人やタレントおよび従業員に繰り返し説 いています。


吉本興業の社会的役割は大きいのです。


ストレスの多い現代社会に於いては「笑い」だけが唯一の救いなのかも知れません。

NHK連続ドラマ「わろてんか」では藤吉が亡くなってから4年の歳月が経過。


主人公てんは藤吉の跡を継いで北村笑店の社長になっていました。


朝ドラの北村笑店のモデルは吉本興業です。


史実の吉本興業の吉本せいも社長になっています。


昭和7年(1932年)31日、吉本興行部は「吉本興業合名会社」に改組し、吉本せい(林せい)が主宰者に就任し、弟・林正之助が総支配人に就任した。


吉本興業はどんどんと「お笑い」の世界で拡大していきます。


今日は吉本興業が「お笑い」の世界だけではなくスポーツ界にも大きくかかわっていたと言う話をします。


それもスポーツ界でもプロ野球の世界です。


まずは、巨人軍の伝説の投手、沢村栄治の話しからです。


伝説の投手 沢村栄治

 

日本の野球界に伝説の人物がいる。


「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」などと今でも語り継がれている沢村栄治である。


19341120日、静岡の草薙球場で行われた日米野球第8戦。


ここまで7戦全敗だった日本だが、この試合で先発した17歳の沢村が、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックスら大リーグの球史に残る名選手たちから次々に三振を奪ってきりきり舞いさせたのだ。


六回まで両軍とも得点なくゼロ行進。七回にゲーリッグに本塁打されて惜しくも01で敗れた。


これが日本で語りつがれている沢村栄治の伝説の試合なのだ。


当時、沢村栄治はどの程度のスピードでなげていたのかが最近検証されている。


実に160キロ以上のストレートを投げていたそうである。


スポーツを科学する 沢村栄治は160キロ超? 往年の名投手の球速は

https://r.nikkei.com/article/DGXZZO70816220X00C14A5000000



日本プロ野球の始まり


現在の巨人の前身にあたる大日本東京野球倶楽部が設立されたのは、昭和9年(1934年)のこと。


この年にはアメリカからベーブ・ルースやルー・ゲーリックらを擁すメジャーリーグ選抜チームが来日し、日本の野球熱も一気に過熱した年でした。

 

そのため同年の12月に大日本東京野球倶楽部が設立され、沢村栄治選手ら19名の選手が所属となっています。

 

設立の音頭をとったのは読売新聞社の社長だった正力松太郎で、大日本東京野球倶楽部の設立にあたっては様々な企業に出資を要請しています。

 

筆頭株主となったのは京成電鉄でしたが、吉本興業部も出資して株主となっています。


NHK連続ドラマ「わろてんか」風太のモデルである林正之助も役員として派遣されていました。

 

この大日本東京野球倶楽部は2年後には、東京巨人軍に改称することになります。

 

後に読売巨人軍となって、球界の盟主とも言われる読売ジャイアンツのルーツなのです。


もう一人NHK連続ドラマ「わろてんか」伊能栞( 高橋一生 )の史実モデル小林一三の話しです。


小林一三が作った阪急


アメリカのワシントンにいた小林一三は、阪神がプロ野球チームを設立したと聞いて、直ちにプロ野球チームの発足を本社に命じる。


そして1936年(昭和11年)に設立されたのが大阪阪急野球協会、即ち阪急軍だ。


しかし、新聞社である読売、そしてライバル鉄道会社の阪神に遅れを取ったのである。


それが、今後の阪急の運命に影響を与えたのかも知れない。


それでも、阪急軍は紛れもなく、日本プロ野球創成期のメンバーだった。


そしてこの頃、企業名をチーム名に冠していたのも阪急軍だけである。


1936年(昭和11年)、設立当初の日本プロ野球に参加した球団は、


東京巨人軍(現:読売ジャイアンツ)


大東京軍(現:横浜DeNAベイスターズに吸収合併)


東京セネタース(消滅)


名古屋軍(現:中日ドラゴンズ)


名古屋金鯱軍(消滅)


大阪タイガース(現:阪神タイガース)


阪急軍(現:オリックス・バファローズ)


の7チームだった。


そのうち、約半数の3チームが消滅、あるいは吸収合併させられている。


アメリカのメジャー・リーグ(MLB)では1901年(明治34年)にナショナル・リーグとアメリカン・リーグという二大リーグになってからは、一度たりとも球団消滅あるいは球団合併がないのとは対照的だ。


現在の日本プロ野球(NPB)では、巨人×阪神が黄金カードと呼ばれる。


だが、日本プロ野球の創立時は、そうではなかったようだ。


最大のライバル対決は大阪タイガース×阪急軍、要するに阪神×阪急だった。


小林一三の口癖は「タイガースには絶対に負けるな!」だったのである。


これは阪神とて同じで、タイガース初代監督の森茂雄は、ある試合で「阪急に負けた」という理由だけで、アッサリと解任されたという。


阪神にとっての最大のライバルは東京巨人軍ではなく、同じ関西の鉄道会社を母体に持つ阪急軍だった。


阪急軍と大阪タイガースとの定期戦は人気を呼び、「関西の早慶戦」とも呼ばれたのである。


阪急と阪神は、お互いの定期戦の時には社員を動員して、応援合戦を繰り広げた。


そして1937年(昭和12年)には、阪神の甲子園球場に匹敵する本格的な本拠地球場である阪急西宮球場を、同じ西宮市内に完成させたのだ。


アメリカの球場を模した造りになっており、当時の日本の球場としては初めてとなる二層式のスタンド、さらに内野にも芝生を敷き詰めていた。


このあたり、阪神に対する過剰なまでのライバル意識が見て取れます。


事実は小説より奇なり


なんだか、NHK連続ドラマ「わろてんか」のドラマの世界よりも実際の歴史の方がいろんな面白いドラマがおこなわれていたようですね。


↑このページのトップヘ