NHK連続ドラマ「わろてんか」では最近漫才家はたくさんでているが、なんだか落語家がでてこなくなったような気がします。
そう言えば月の井団吾(波岡一喜)はどうしたんでしょう。
ちっともみかけませんが…。
月の井団子のモデルは伝説の落語家桂春団治です。
実は昭和9年吉本興業はマーカス・ショウを招聘し次々大成功をおさめていますが、ちょうどその年に桂春団治は亡くなっています。
■ 伝説の落語家桂春団治の死
桂春団治も昭和9(1934)年10月6日に亡くなる。
明治黄金期から続く最後の落語スターがいなくなりました。
すでに吉本興業に所属する芸人では、落語家よりもはるかに漫才師が多くなっていた。
落語家から漫才師に転向していくものも絶えない。
昭和10年代に入ると、吉本の寄席は漫才がメインになっていく。
落語の出番は早い時間帯だけということが多くなり、いわゆるイロモノ扱いとなっていました。
寄席とは、漫才を聞きに行くところであって、あいまにちょこっと落語が聞けるところ、になった。
昭和9年の春団治の死後、大看板と言える落語家はほとんどいなくなりました。
■ 「笑い」のために一生を捧げた男
桂春団治はとにかく笑いを取りにいった。
落語を聞かせるというより、笑わせることにつき進んだ。
落語では、笑いの箇所をくすぐりと呼ぶが、春団治の場合はまさにギャグと呼んだほうがお似合い。
刺激的で現代的なお笑いを入れ込んでいった。
そのギャグはいまも伝わっている。
この、とにかく笑わしたるという芸風は、その熱狂的なファンでもあった笑福亭仁鶴などを通し現代にも伝わっている。
破壊的なギャグを入れ込んだので、保守的な落語ファンには嫌われました。
ただ、時代をくだってみると、新しい流れに負けそうになっている落語に、全身をかけて勢いをつけた姿は壮絶でした。
桂春団治
「私はお客がただ笑うだけでなく、涙を流してまで笑うてくれんと頼りのうおます。
というのは笑うて笑うて、笑いの止らぬ時、お客は横腹を抑えて涙を流して苦しんでいやはります。
ここまで来て初めて私は落語家になった生甲斐を感じます」
桂春団治は笑いのために一生をかけた。
女房だとか、暖かい家庭だとかえりみることさえなかった。
死因は胃癌だった。
享年57歳。
桂春団治には葬式の費用も無く、吉本興業が葬儀を出した。
桂春団治「笑い」のためにだけ生きた人生の最後に見た夢はなんだったのでしょうか?
♬そばに私が ついてなければ
♬なにも出来ない この人やから
♬泣きはしません つらくとも
♬いつか中座の華になる
♬惚れた男の 惚れた男の
♬でっかい夢がある
実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。
大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。
なぜって、夢はその人が死んだ後もいき続けるのですから。
by ココ・シャネル