NHK連続ドラマ「わろてんか」では主人公てんの発案で『忠臣蔵』原案の恋愛映画を制作することになり、楓(岡本玲)が台本の執筆を買って出て、リリコ(広瀬アリス)たち芸人は少しでも目立つ役をもらおうとアピールを始める。
※『わろてんか』第137話では、てん
(葵わかな)発案で『忠臣蔵』原案の恋愛映画を制作することに
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180314-00010005-realsound-ent
北村笑店のモデル吉本興業で「忠臣蔵」の映画を製作したと言う事実はない。
脚本家吉田智子が作った全く架空の話です。
なぜ?
忠臣蔵なの?
戦時中に制作された映画でなんと「忠臣蔵」の映画が多いことに驚く。
■ 「忠臣蔵」の映画
昭和14年 「忠臣蔵」(大都映画) 出演:阿部九州男、松村光夫
昭和14年 「元禄快挙余譚」(松竹) 出演:土屋主税、林長二郎
昭和15年 「忠臣蔵・天の巻」「地の巻」(日活) 出演:阪東妻三郎
昭和16年 「忠臣蔵・前編」「後編」(東宝) 出演:大河内伝次郎
昭和18年 「元禄忠臣蔵・前編」(松竹) 出演:河原崎長十郎
昭和19年 「元禄忠臣蔵・後編」(松竹) 出演:河原崎長十郎
毎年のように「忠臣蔵」の映画が上映されている。
なんと「忠臣蔵」の映画と軍部の検閲も緩く、上映が許可されていたのだ。
なぜ「忠臣蔵」の映画だけ軍部のうけがいいんだろうか?
「忠臣蔵」は浅野匠が松の廊下で吉良上野を切りつけ切腹。
家来が主君の仇討ちを果たすと言う物語に過ぎない。
この江戸時代の仇討ちの物語のどこに軍部の評価が高かったのか?
「忠臣蔵」はたんなる仇討ち物語ではなかった。
軍部の考えでは「皇道」すなわち天皇陛下が全てのものの一番最上のものであり、「忠臣蔵」は「皇道」の実践者を褒めたたえる映画だからこそ軍部の評価の高い映画となっていたのだ。
天皇陛下を思って行動を実行した唯一の実例が四十七士の仇討ちであった。
それは軍部も知っていたし日本国民全てが知っていた歴史的な事柄であり、だからこそ「忠臣蔵」映画が戦争中も上映され続け、国民に大人気だったのだ。
■ 真実の「忠臣蔵」物語
怨敵・吉良家は高家の肝煎(筆頭)。
その高家の役割とは、表向きは有職故実に精通して皇室と徳川宗家(幕府)との橋渡しを司ることにあった。
実際は幕府の使者として、皇室・皇族を監視し、幕府の意のままに皇室を支配することである。
当時、幕府による皇室不敬の所業は厳酷を極め、禁中并公家諸法度により、行幸禁止、拝謁禁止をも断行した。
つまり、軟禁状態に置いたということである。
それ以来約250年の長きにわたって幕府の皇室軽視は続いたのである。
この頃の具体的確執はというと、
「後水尾天皇」は、幕府が仕掛けた、徳川秀忠の子、和子の入内問題、宮廷風紀問題、紫衣事件などに抵抗され、また、中宮和子による家光の乳母・斎藤福に「春日局」の局号を与えたことに反対抗議して退位させられた。
その後、「明正天皇」(和子の子=秀忠の孫)が即位されることになったが、その陰には吉良家などの高家による陰謀、工作があった。
「明正天皇」継承に邪魔な皇子はことごとく堕胎や殺害されたと伝えられている。
以後は、「後水尾上皇」が院政を行われて幕府となんとか対峙された。
承応三年には、「後西天皇」が即位されたが、それと前後して豪雪、大火、凶作、飢饉、大地震、津波、など異常気象による自然災害が起こった。
今度はそれを四代将軍・家綱は、凶変の原因は「後西天皇」の不行跡、帝徳の不足にあるとして無礼にも退位を迫ったのである。
その手順と隠謀を仕組んだのも、これまた高家筆頭の吉良若狭守義冬、吉良上野介義央の父子である。
そして、これらの凶変のうち、少なくとも京都御所の火災は、幕府側(高家・吉良側)の放火によるとの説が有力である。
一方、赤穂浅野家は尊皇が極めて深い家柄であり、吉良家などの高家とは完全に対極の立場にあった。
幕府は、討幕の火種となりうる尊皇派勢力を排除することが政権安泰の要諦であることを歴史から学んでいる。
幕府放火とみられる京都御所建て替えに際し、尊皇派の赤穂浅野匠頭長直(長矩の祖父)に禁裏造営の助役(資金と人夫の供出)を命じ莫大な負担を強いたが、逆に浅野家は名誉なことと受け止め、見事なまでに禁裏造営の大任を果たすのである。
しかし、御所落成を機に工作を弄し、寛文三年、「後西天皇」は遂に退位させられ、霊元天皇が即位された。
幕府は、その際、禁裏御所御定八箇条を定め、皇室に対し、見ざる言わざる聞かざるの政策をさらに徹底させることになる。
そして、この禁裏御所御定八箇条の発案も、吉良上野介によるものであった。
浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ原因は、いろいろと取り沙汰されている。
浅野内匠頭は、「この間の遺恨、覚えたるか」と告げて吉良上野介に刃傷に及んでいることから、遺恨説が有力とされている。
しかし、以上の事を考えると、この遺恨は、私憤ではなくまさしく公憤である。
当時の尊皇派大名は、明治維新時のなりすまし尊皇派とは志の「誠」が違うのである。
この刃傷事件が、勅使、院使の江戸下向の際に起こったことを考えれば、浅野内匠頭がよほど隠忍し、見逃す事の出来ない、皇室に対する更なる不敬の所業が将軍家並びに吉良上野介にあったはずである。
それゆえ、この刃傷事件は、「朝敵」吉良上野介に「天誅」を加えて成敗するための義挙である。
浅野内匠頭は、その本意が漏れて、これにより朝廷へ迷惑が及ぶことを避け、刃傷に及んだ原因を一言も語らなかった。
しかもきっぱりと「乱心にあらず」とし、宿意と遺恨をもって刃傷に及んだと弁明をするのみで、申し開きせず黙って切腹したのだ。
尊皇の志篤い浅野内匠頭長矩が、芝居で語られるような、子供のイジメにも似た他愛もない吉良上野介の仕打ちに、家名断絶を覚悟してまで逆上して刃傷に及ぶという乱心説で説明できるものではない。
浅野内匠頭をなじる人の多くがある書物を用いて評する。
それは「土芥寇讎記」という当時の諸藩通信簿のような書物であり、浅野内匠頭が、さんざんコキおろされている。
儒教色強い記述内容から徳川綱吉の意向が反映された書物で、尊皇派については良く書かれていない物だ、筆者も時期も不明。
あきらかに当時のプロパガンダである。
ネット上でも、「浅野内匠頭がキレやすい性格」「この様な君主をもつ家臣は迷惑」「頭痛持ちで、短気な性格」「精神異常者」などの迷言が謳われているが以上の事は全く当てはまらない。
浅野内匠頭長矩は、本来の士道に副った「もののふの誉れ」であり、誠に天晴れな皇道の実践者であった。
楠木正成公・上杉謙信公に次ぐ「誠」の志高い尊皇派の名君なのだ。
■ ドラマはどうなるの?
脚本家、吉田智子は全ての事実を知った上でNHK連続ドラマ「わろてんか」で北村笑店の初めての映画を「忠臣蔵」としている。
確かに軍部の評価の高い「忠臣蔵」であるが、これに恋愛物語をからめたらどうなるのか?
天皇陛下を崇める映画に恋愛物語をからめるとは破廉恥だと大激怒し、中止になるのではないだろうか。
「忠臣蔵」の隠された真実を暴露し恋愛物語としてどうす成立させるのか。
ここは恋愛脚本家、吉田智子の脚本家としての見せ所です。
さてドラマではどうなるのか?なんだか楽しみですね。