ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:とと姉ちゃん > 暮らしの手帖

今、僕らは大切なものを失おうとしています。

これを知らないまま見過ごしていいのですか。




★食の安全

室井佑月「黒いですね」 豊洲市場移転問題で〈週刊朝日〉


主要となっている建物の下には、土壌汚染対策の盛り土が行われていなかった。青果棟の地下の一部ではコンクリートもなく、砕石層がむき出しになっていた。

結局、莫大な血税をかけて、何をしたかったのか?

まずはじめ、開場してから80年になる築地市場の老朽化が、危ないって話だった。

建物の老朽化が問題だったら、補強作業をすればいい。移転より、建物補強のほうが金もかからない。

だが、それだけが問題じゃないって話になった。今の築地は、衛生面で食の安全性を確保できない、って。

じゃ、なぜ移転先に汚染されている土地を選ぶ?

あの土地が便利だったって話だけど、食べ物を扱う市場なのに、汚染されている土地ってどうよ? いちばん大切なその部分をないがしろにするって変じゃね? みなさん、理解できます? あたしにはさっぱりわからない。

昔も今もかわらない、一部のものの利益のために食の安全が無視されようとしている。

果たしてこれでいいのだろうか?

都民の食の安全を一番に考えるのが都庁のはずなのに、築地の移転で食の安全が不安になる?

これでは本末転倒である。

★食品公害

花森安治の高度成長期には「あの時代は公害問題が出てきて、人々の生活が脅かされていた。

『暮しの手帖』では、食品色素の危険性も指摘しました。

当時は、食品にいろんな色素が入っており、それが体に害がある恐れがあるにもかわらず、国は黙認していました。

編集部でアイスキャンディーを何百本も検査した結果、4本に1本の割合で大腸菌が検出されたこともありました。

食品公害という言葉を作ったのは『暮しの手帖』なのです。

この時代も築地の移転問題と同じようなことが起きていました。

国民の健康を一番に考えるのが国でなければいけないのに?国は食品公害を無視したのです。

★なぜこんなことになるのでしょう。

それは国家の繁栄の名目のもと国も地方自治体も企業も国民の暮らしを一番には考えていないからです。

花森安治は次のように述べています。

「 もうけてなにがわるい、という、そのとおりだ。

他人の不幸を踏み台にして肥ったりせず、

人間の弱点につけこんで売り上げをのばしたりもせず、

ぼくらの暮しに役立つ いい品だけを作ったり、

売ったりしているかぎり、もうけてわるいはずがない。

そんなふうに考えて、仕事をしている会社や人間だったら、

大いにもうかるのが、ほんとうなのだ

しかし、いま、そんな会社や人間が、
どれだけあるというのか。

ひとの暮しに役に立たなくても、

人の暮しをダメにすることがわかっていても、

売れさえしたら それでいい、

売れるためなら、どんなことでもする、

そんな会社や人間ばかりだ。

そんな会社や、そんな会社の後押しをした政府が、

いま、日本の繁栄をつくりあげてやったのは、

じぶんたちだ、と胸を張っているのだ。

そうなのか、ほんとうにそうなのか。

それなら、見るがいい。

そんな企業を後押しにしてきた政府よ、

見るがいい。

誇らしげに、君たちが作り上げたという、

その世の中を 目をそむけないで、
はっきりと見るがいい

繁栄とは、なにか。

ゆたかな暮しとは、なにか。」
 
花森安治の言う通り、庶民が集まって、国があるのです。

国があって庶民があるのではないのです。

国民の暮らしを一番に考えるのが国の仕事であって、企業や政治家のことを一番に考えるのは国の仕事ではない。

最近はお年よりを騙すオレオレ詐欺が横行している。

何も知らないお年よりから言葉たくみにお金を騙すのです。

言葉は悪いが、国や都地方自治体や企業の現在やっている行為は、オレオレ詐欺とたいして違いがないのではないか。

国や地方自治体や企業が何も知らない国民を言葉たくみに騙しているのはではないかと思わざるを得ない。

現在の国民の暮らしは、だんだんと厳しさを増し、日々の生活にも困る人がたくさんいる中、国や地方自治体の名前のもとに何千億円のお金が使われようとしている。

国や地方自治体は少しは国民の暮らしを優先させ、お金の節約とか使い方を考えられたらいかがなのだろうか。




『とと姉ちゃん』NHK連続ドラマに阿川佐和子さんが登場するそうである。




<阿川佐和子>「とと姉ちゃん」で朝ドラ初出演 テレビ番組司会者に


毎週土曜日サワコの部屋を観ているものとしては結構楽しみです。

阿川佐和子の最大の魅力の1つに『聞き上手』であることがあげられると思います。

彼女、自身はほとんど喋っていないのに、相手がいつの間にか熱心に話してしまう。

あっ、こんなこと話しちゃった。

あっ、こんなこと喋っちゃった。

 相手の本音を聞きだしていて、いつも楽しいですよね。




★BABYMETALのヘヴィメタってなに?

最近、3人グループのBABYMETALが人気になってます。

海外ツアーを終えた後、東京ドームで2日で10万人を集め日本でもそろそろ話題になってきました。

彼女達の曲の中でもスーメタルが歌うシンコペーションが最高に素敵です。

スーメタルこと中元すず香は第二の美空ひばりです。

ところで、彼女達が歌うヘヴィメタってどんな音楽かわかりますか?

なかなか、わかったようでわからないですね。

ヘヴィメタはうるさいだけのロック?

どうも違うみたいです。

阿川佐和子さんが聖飢魔のデーモン閣下にインタビューしてわかりやすく、
ヘヴィメタについて聞いています。



★阿川佐和子、デーモン小暮閣下にインタビュー

阿川佐和子は「ヘヴィメタ」という音楽を「ロックの一種とは認識していたが、どんなロックかチンプンカンプンだった。

思い切って単刀直入にデーモン閣下に直接聞いてみた。

阿川佐和子

「あの、ヘヴィメタって、なんですか」

デーモン閣下

「ハハハ。ロックというのは、わかりますね?」

「ロックがいろいろな枝葉に分かれていく中で、速さと激しさを追求したものをハードロックというんですね。♪ガンガンガンガン、ガガーンガンガーンガーン、タターンターンタ、バーンバーンバーンっていう感じ」

阿川佐和子

「ほうほう」

デーモン閣下

「じゃ、速くて激しければ全部ハードロックなのかというと、そうではなくて。そこからまた枝葉が分かれていって。速くて激しいけれど、ドラマティックであったり、仰々しい決めごとを取り入れる。たとえばクラシック音楽のワンフレーズを持ってきて、あるポイントに来たら全員がちゃんと、♪ダダダダーンみたいにベートーヴェンの『運命』のメロディをぴったり合わせる。そういうのを様式美というんですけどね」

阿川佐和子

「はあ~」

デーモン閣下

「簡単に言うと、様式美の要素を入れないと、ヘヴィメタルとは認定されないんです。ハードロックに様式美を持ち込むと、それがヘヴィメタルになるというわけ」

阿川佐和子

「そうかあ。ヘヴィメタって知的なんだ。もっとハチャメチャな音楽かと思ってた」

デーモン閣下

「ハチャメチャなのはパンク。速くて激しいけれど、♪うまく歌ったってしょうがないじゃーん。上手に歌うことになんの意味があるんだ~。ってのがパンク。だけど、ヘヴィメタルは上手じゃないと駄目なの」

阿川佐和子

「CDを聴いていて思ったんですが、こうしてお話ししているデーモン閣下はものすごく低温のダミ声なのに、歌を歌っているときの閣下の声は、ボーイソプラノのように高くないですか? どうしてなの?」

デーモン閣下

「それはね、理由があるんです。あれだけの轟音で演奏している中で、低い声で歌うとぜんぜん聞こえないんですよ。高くないと声が通らないから、だからヘヴィメタのボーカルはみんな、必然的に高い声で歌うようになったんです」

阿川佐和子とデーモン閣下のインタビューを聞くとヘヴィメタってこんな音楽なんだってよくわかりますよね。



『とと姉ちゃん』NHK連続ドラマ主人公小橋常子の『わたしの暮し』の販売が好調です。販売部数70万部を超えて100万部に達する勢いです。


『わたしの暮し』のモデル『暮しの手帖』も最盛期は100万を超える販売部数だったそうです。


凄いね‼︎


ってわかりますが


★この発行部数100万部数って、どんなに凄いのか?


現代の「一般週刊誌」と比較してみると


「一般週刊誌」発行部数ランキングTOP5(201310月~201312月)


1位 週刊文春(703,924部)文藝春秋


2位 週刊新潮(566,470部)新潮社


3位 週刊現代(535,000部)講談


4位 週刊ポスト(478,100部)小学館


5位 週刊大衆(252,667部)双葉社


あの現代、スクープ連発の週刊文春でさえ、70万部なんです。


ちょっと古いって?


では、最近の話題になったベッキーさんの不倫記事をみてみましょう。


週刊文春ベッキーさんの号は発行部数は66万部でした。


あんなに話題になったのに完売とはなっていませんでした。


ベッキーさんの号は8割弱でした。


約50万部が売れたみたいです。


週刊誌で言うところの「完売」、実は基準があります。


出版界全体がこのラインを下げているんですが、週刊文春は「8割」をラインとしています。


66万部を完全に売り切るのは、日本全国の書店等に出しているので至難の技ではないそうです。


首都圏で売れても、地方ではそうでもなかったり。


★週刊文春はどのくらい儲かるのか?


ベッキーさんの号を例にすると、66万部の8割、53万部が実売数と考えることができます。


週刊文春値段は400円


完売で21,200万円の売上です。


書店22%4664万)


取次に8%(1696万)


印刷原価15%3180万)


版元の売上純利益55%(11660万)


1回出すと1億1660万の儲かります。


なかなか、いい商売ですね。


★週刊文春がスクープを連発させる理由は?


週刊文春はなかなかいい儲けです。


週刊文春の編集部は、55人のチームで、完売時は1週間あたり、11,660万の売上純利益。


編集部員、特約記者1人あたり、212万を稼いでいることとなります。


それが、毎週となるから4.3週とすると、911.6万となります?


販管費に取材費を抜いても、これはこれでかなりの経費がかけられる体質がスクープを支えている構造のよです。


★週刊文春のコンテンツビジネス


ビッキーの不倫騒動はテレビのワイドショーでも随分取り上げられていました。


視聴者はテレビをみながら、週刊文春の記事を何度も何度も繰り返し観ていました。


週刊文春にベッキーのLINEがそのまま掲載され、ワイドショーのテレビの画面に出たときは、ベッキー大ピンチと、さぞかし思ったことでしょう。


まさか、この週刊文春の記事、週刊文春は各テレビ局から記事使用料をちょうをもらっていたのです。


週刊文春の『コンテンツビジネス』だそうです。


『暮しの手帖』はどんなに凄い雑誌なのか?


現代の雑誌で広告を掲載してない雑誌などありません。


なぜならば、雑誌の販売料だけで雑誌社はなりたっていかないのです。


広告収入が入ってやっと会社を維持できていると言う状況なのです。


ましてや、『暮しの手帖』は女性や主婦対象の地味な暮しの提案雑誌です。


当然、週刊文春のような芸能人のスクープ記事などありません。


しかし、『暮しの手帖』は最高部数で週刊文春を遙かに超えた100万部以上の発行部数を達成しています。


これは日本に於いて奇跡であったと言うしかないと思います。


花森安治は『暮しの手帖』の3つの幸せを次のように語っています。


ひとつは、雑誌を育て、支える質のよい読者を持ちつづけたこと。


ふたつめは、雑誌のどの号の、どの一頁(ページ)も、筆を曲げなかったこと。


「この雑誌は広告をのせていません、そのために、どんな圧力も感じないでやってこられたのだとおもいます。
編集者として『何ものにもしばられることなく、つねに自由であること』これにまさる幸せは、ほかにはないからです。」


「そして、広告をのせなくても、雑誌を一冊一冊買ってもらう、その収入だけでちゃんとやっていける、そのことを二十二年間の経験で、ぼくたちは、実証できたと思ってます。」


『暮しの手帖社』では「社員は家族」と考え、まわりの人々をとても大切にしていた鎮子さん。





鎮子さんは、社長業と主婦業は両立できそうにないと、独身で生きる事を26歳にして決めてその後も貫き通します。

編集長は花森安治さんでしたが、大橋鎭子さんや母の久子さん、次女の晴子さんや三女の芳子さんたち『大橋家』が一丸となって、会社を支えていました。

花森さんが雑誌づくりに集中するため、鎭子さんは対外的な仕事をこなす社長を任せられた。だが、社長とは名ばかりで、雑務全般も担当した。

そんな鎭子さんをサポートし、花森さんの秘書役を長年務めていたのが三女・芳子さんだった。

芳子さんは控えめなタイプ。役職はデスクですが、ほかのスタッフと一緒に雑巾がけもします。編集部では相談しやすいお姉さん的な存在で、体調を崩せばいちばんに心配して声をかけていました。

晴子さんは実直なタイプで、当時はあまり目立とうとしない奥ゆかしい女性。

三姉妹で唯一、結婚されていますが、結婚後も大橋家全員で同居していたので、編集員と会う機会も多かった。

大橋鎭子は入社時に『締切りを守るためなら親の死に目にも会えません』とくぎを刺されていました。

実際は社員の母が倒れたときには、心から心配してくれて『すぐに病院に行きましょう』と付き添っていました。

晴子さんは『ちゃんと食べているの?』といつも社員の健康を気にかけていました。

芳子さんは編集部では出納係をされていました。

社員の母の治療費が大変だった時、経費の精算のときには『これで足りる?病院へのタクシー代もちゃんと請求しなさい。給料の前借りをしてもいいのよ』とまで言うのでした。

社員はみんな『大橋家』の家族だったのです。

<明日のとと姉ちゃん>9月26日 第151回  常子、紙面と社内の改革宣言! そして花山は……


『暮しの手帖』は女性の暮しを良くするための雑誌です、大橋鎭子は『暮しの手帖社』の女性社員の暮しも良くしなければならないと考えて、自分の会社も女性の働きやすい職場にするためいろんな社内改革をしていました。

★男女平等

給与面の待遇も、男女の差別なし。

女性も男性も、みんなが自分の暮らしの知恵や実感を持ち寄り、とにかく手を動かして、わいわいと賑やかに作ってこそ、『暮しの手帖』なのです

「暮らしのベテラン」である女性社員をとても大切にしていました。

家では主婦をこなす女性社員からこそ、たくさんの暮らしの知恵が出されるのです。

会社としては負担もかかるであろう30歳以上の女性をあえて公募し、採用していました。

★出産休暇

女性社員に子どもができると、どれくらい出産休暇が必要か、出産後はどのように働きたいか、ひとりひとりと話し合って決めていたそうです。

今でこそ、産休や育児休暇は当たり前ですが、この時代ではとても珍しい待遇だったと思います。

★福利厚生

会社として、社員教育や親睦をはかるために様々な行事があり、社員旅行、ダンス、写真コンクール、パーティー、野球などをいそがしい日々の合間をぬって行っていたそうです。

研究室(編集部)では、社内環境を整え、部員のために夕食の準備をする当番も設けられていたといいます。

3時になるとお茶とおやつの時間も。

手作りの大切さ、あたたかさ、団らんの場がしっかりと設けられていて、本当に家族のようです。

★『暮しの手帖社』離職率は0%だった。

現代、厚生労働省は毎年「新規学卒者の離職状況」調査を実施しています。

最新の調査結果によると大卒の3年後離職率は32.3%と、実に「3年で3割が辞める」計算なのです。

ある時、『暮しの手帖社』入社したくてノーアポで受付に来られた女子大生がいたそうです。

「この会社に入りたいのですが、どうしたら入れるでしょうか?」

と聞くと

「当社は新たに人は雇いません。今の人数で間に合ってますし、誰も死ぬまで辞めません。」

「新たに雇用するとしたら、誰かが死んだ時です。」

『暮しの手帖社』の人事担当者が返答したそうです。

当時は女性を大切にする会社でしたので誰も辞める人がいなかったようです。

『誰も辞めない会社』離職率は0%と言うことなのでしょう。

ほんとに衝撃的な会社です。



『とと姉ちゃん』NHK連続ドラマでも主人公小橋常子と花山伊佐次の『わたしの暮らし』も順調に販売を伸ばし、三姉妹みんな一緒に大きな家にも住むことになりました。

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なんだかハッピーエンドめでたし、めでたしの結果ですね。

これで常子と星野が結ばれていたら…良かったのにって考えるてるのは私だけでしょうか。

『わたしの暮らし』のモチーフ『暮しの手帖』も史実ではドラマと同じように社会に認められ、『暮しの手帖』はいろんな賞を受賞することになります。

ドラマ小橋常子『ちいさなしあわせ』は大橋鎭子『すてきなあなたに』エッセイ集です。

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★昭和31年 (1956年)『暮しの手帖』は 第四回菊池寛賞受賞。


受賞理由 婦人家庭雑誌に新しき形式を生み出した努力だった。

大橋鎭子は

「この受賞は日ごろから親身になってお力添えをしてくださっている先生方、印刷や製本、紙など、裏方の無理な仕事をいっしょうけんめいやってくださっている方々、そして今まで読んでくださった方々のおかげだと思います。

その上、日本中の方からわがことのようにたくさんのお祝い状までいただきました。

いただいたいちばんはじめの祝電が、未だお目にかかったことのない読者からだと知ったとき、みんなぽろぽろと涙を流してしまいました。」

と述べている。

昭和23年大橋鎭子と花森安治2人が創刊した『暮しの手帖』もやっと世の中に認められるようになった瞬間です。

昭和53年(1978年)年1月14日、花森安治は心筋梗塞により永眠。

その後『暮しの手帖』は最高発行100万部を超えていたと言われています。


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★平成6年(1994年)『すてきなあなたに』が第10回東京都文化賞を受賞しました。

『すてきなあなたに』は1969年から連載が続く『暮しの手帖』誌の人気エッセイ集です。

実際に目でみて素敵だと思ったこと、人と接している時に感じた素敵なこと、心に深く染み込んでいったこと、食事の時に美味しかったものとそのレシピなど、日常の生活で感じて、メモに書き留めたものを綴っています。

東京都文化賞を受賞した『すてきなあなたに』ってどんなエッセイ集だったのか?って

私の好きな『すてきなあなたに』大橋鎭子のエッセイより1つお贈りします。

★大橋鎭子「私のとても大切なもの」

日々、大量の情報と時流に押し流されて

気がつくと何が自分らしさなのかを

すっかり見失ってしまうことがあります。

自分らしさとかアイデンティティとか

そんなことに拘ること自体が

ナンセンスだと思うことも勿論あります。

だって人は変わってゆくものですし

変化こそが成長そのものなのですから。

それでも、どんなに成長して行って

「今の自分が一番すき」

と言える時でも

触れてみたとたんに、自分の中へ

とてつもない勢いで流れ込んで来るものがあります。

それが私を「調律してくれるもの」です。

それらはきれいな水のようで

私の心の大地を瞬時に潤していきます。

潤って初めて、乾いていたことに気付くのです。

その時私は

「ああ、忘れていた、私のとても大切なもの」

と気付き、涙が出ます。

そういうものは

どうして忘れていたんだろう?

と不思議なくらい、私にとって大切なものです。

★「人にとって大切なもの」

人間にとって大切なものってなんでしょうね。

時々、こんなことを考えることがあります。

お金なんでしょうか?

健康なんでしょうか?

きっと

地位や名誉やお金とは

全く違うんでしょうね。

愛する人と毎日楽しく暮らすこと

こんなあたりまえのことが

人にとっての一番大切なことではないのでしょうか。


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