ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:あさが来た > 大隈重信

『あさが来た』NHK連続ドラマ毎日楽しみにして見ています。それにしても主人公あさのモデル広岡浅子さんの活躍には驚きます。明治時代の政財界の大物が次々と登場します。最近では大隈重信、役者は高橋英樹とその妻、綾子に松坂慶子さんがドラマに出演しています。二人とも大俳優らしく堂々とした演技に関心しています。






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ところで、大隈重信役の高橋英樹さん、話すときに少しこもったような話し方をされていました。



あれ?



歴史上の人物、大隈重信の話し方をまねているのかなと気になりました。


実際、大隈重信はどんな話し方をしたのでしょうか?


調べたら、国会図書館がYoutubeで公開していました。


★大隈重信の演説


https://www.youtube.com/watch?v=moblHdGeXRM


どうでしたか?


生の大隈重信さんも、少しもごもごとした話し方ではなかったですか。

『あさが来た』大隈重信役の高橋英樹さんの話し方と似ていませんでした。

大隈重信の生の声が聞けるけるなんて思ってもいなかったので不思議な気持ちです。



他にもいろんな歴史上の人物の声が聞ける見たいです。


なんだか、いろんな歴史上の人物に逢えた気がして嬉しくなりました。




電話で177は「天気予報」です。私は昔利用したけど、今はネットで天気予報を調べているので、もう利用しなくなりました。










ただ、利用者が減ってるとはいえ、今でもなおたくさんの人が頼りにしてる、177の天気予報サービス。



3桁の番号に電話をかけて聞くだけっていう、分かりやすいアナログ的な方法だからこそ、デジタルな時代に年間5500万回も使われてるようです。



結構、今でも利用している人が多いようです。








東京と横浜で手動による電話交換サービスが始まったのは1890年(明治23年)です。



その当時、明治時代にタイムスリップして177番にかけてみましょう。



電話機のハンドルを回して交換手を呼び出します。



ジリージリー



「はい、こちら交換台です。」






「177番をお願いします。」



ジリージリージリー



相手方



「どなたであ〜る」






「あなたは?」



相手方



「私は大隈重信であ〜る」










ひえっ、「びっくりぽんや」



大隈重信が出てきちゃいました。




明治時代177番は大隈重信の電話番号だったのです。



明治23年に日本に電話が開通した時、電話番号は申請者順に振り分けられていました。



大隈重信がたまたま177番目に申請したのでそうなったみたいです。



天気予報とは関係がありません。



同じ時に申請した人



1番は東京府庁



2番は逓信省



3番は司法省



58番:渋沢栄一



247番目:後藤象二郎



248番:前島密



だそうです。




東京の電話番号は東京府庁の1番から始まって269番までの250加入者(欠番あり)。横浜は1番から60番まででした。



なんだか、明治時代にどの電話番号にかけても、歴史上の有名人とお話し出来そうです。




「あさが来た」NHK連続ドラマで大隈重信役に高橋英樹、大隈綾子役に松坂慶子が登場している。ベテラン俳優の高橋英樹が演じると、大隈の威風堂々とした風格が良く伝わります。







大政治家、大隈重信は政治家としても教育家としてもいろんな顔を持っていますが、日常生活に於いては「健康的な生活」を常に心がけていました。



★「健康的な食事」


食事面では、普段から小食。間食はせず、肉よりも魚、魚よりも野菜を好みました。


洋食より和食、腹八分目を心がけていたと思われます。


食道後のデザートは大好物の「メロン」。


なぜか「メロン」が大好きだった。








★大隈重信と「メロン」


明治時代には「メロン」と言う名前の果物は、ほとんど知る人もいなかった時代である。


イギリスの貴族に好まれて栽培されていたためか、大隈重信の目にとまり、
大隈は「メロン」を持ち帰り日本で初めて栽培している。


成瀬仁蔵が病気の時もお見舞いとして「メロン」と「トマト」を持参している。


やがて華族をはじめとした上流階級で贅沢な流行となったと言われている。


大隈は、当時は貴重品で王侯貴族以外にあまり目にすることのなかったメロンを、スイカのように普及させ、一般庶民の食卓にも上らせたいと考え、アスクメロン協会を設立。初代の会長は伊藤博文だった。


大隈重信は晩年メロンの栽培に凝り、大正9年ごろ自邸でメロンの品評会を開いている。


大隈重信のメロンの栽培はついには新しい品種を生み出した。その大隈作のメロンの名前も、「ワセダ」。







★「規則正しい生活と散歩」


生活リズムはとても規則的で、朝は5時半に起きて体温を測り、邸宅内の畑、温室、庭園を1時間かけて散歩。夜は9時に就寝、という徹底ぶりだったという。


そしてその散歩ルートの一つだった大温室では、世界の蘭の珍種数十種類が集められ、大隈さんは盆栽・菊・柑橘類など多くの植物の世話を楽しんだ。大温室の中ではバナナも栽培されていたと言う。


大隈重信は政治家や教育家として充実した毎日を過ごすと同時に、人生を長く生きようとした。


大隈重信は


「余はメロンを食うて125歳まで生きる」

と常々豪語していた。


流石に大隈重信は125歳までは生きられなかったが、83歳で亡くなっている。

その当時としては、結構な長生きである。

「メロン」が長生きの秘訣かはわからないが、大隈重信が健康に気をつけていたのが長生き出来た理由であるのは間違いない。




 

「あさが来た」NHK連続ドラマで大隈重信役、高橋英樹と大隈綾子役、松坂慶子がそろって登場しています。




テレビに映る、仲良しのお二人を見ているとなんだか微笑ましく、ドラマを見て良かったなと思います。


しかし、表面では上品な奥様のように見えてますが、大隈綾子さん、家事や子育てに大奮闘。全ての家事をこなした「スーパーウーマン」だったのです。


大隈重信さんは政治家として、教育者として日本の中心的役割を果たす大人物、そのお付き合いは政財界でそうとうな人数に上り、大隈家を訪れるお客様の数は、1日50人以上でした。


日夜談論を戦わしに伊藤博文、井上馨、山形有朋、に五代友厚、渋沢栄一もやって来ていました。


大隈はどしどし人に会い、意見を聞く。そうすることで自身の思考も固まり、施策立案のヒントを得ていたのです。



お客様を接待する奥様の綾子さまのご苦労たるや、想像を絶するものだったと推定されます。


明治の小説「食道楽」1903(明治36)年に村井弦斎が恋物語を軸に、料理、家事などの食育を絡めた大作の中で「大隈重信伯爵家の台所」が詳細に紹介されています。

「 大隈重信伯爵家の台所 」







「 村井弦斎の解説 」


台所は昨年の新築に成り、主人公の伯爵が和洋の料理に適用せしめんと最も苦心せられし新考案の設備にて、其の広さ25坪、半は板敷、半はセメントの土間にして、天井に凡そ4坪の明取りあり。


極めて清潔なると器具配置の整頓せると立働きの便利なると鼠の竄入せざると全体の衛生的なるとは、此の台所の特長なり。


此の台所にては毎日平均50人前以上の食事を調ふ。100人200人の賓客ありても、1000人2000人の立食を作るも、皆な此にて事足るなり。


伯爵家にては大概各日位に西洋料理を調へらる。和洋の料理、此の設備に依れば手に応じて成り、復た何の不便不足を感ずる所無し。



此の台所の斯くまで便宜に適したるは、ストーブにも竃にも瓦斯を用ゐたるが為めなり。瓦斯なる為めに薪炭の置場を要せず、煙突を要せず、鍋釜の底の煤に汚れる憂も無く、急を要する時もマツチ一本にて自在の火力を得べし。


文明の生活をなさんものは文明の台所を要す。和洋も料理を為さんものは宜しく此の新考案を学ぶべし。






「大隈重信伯爵家の台所」は毎日50人以上のお客様が訪れるように設計され、大隈重信は台所にはガス炊飯器、台所をオールガスシステムに近代化にしていました。


これは、奥様綾子さんは多いに助けられたと思います。


毎日50人以上の来客にお客様の接待に食事。家事を取り仕切った奥様はほんとうにたいへんだったと思います。綾子さんには、ただただ感心するばかりです。


大隈は人が大勢早稲田の自宅に集るのを好み、何時間でも講話し、談笑していたと言います。雨の日など尋ねる人が少ない時は、『今日は客の入りが少ないなァ』と寂しがったといいます。


明治45年の大隈邸の1年間の台所記録によると、この年の自宅訪問客は23,963人に及び、この内で、食事の提供は、

上:   1、523人前
並:   1、641人前
西洋料理:  550人前
合計:  3,714人前

だったと言います。


全く、空いた口が塞がらないとはこのこと、これが個人の家でなされていたのかと考えるだけでも驚き以外のなにものでもありません。


1日60人より70人の来客があり、接待するのも、たいへんなのに食事も提供している。


これでは旅館なみです。大隈重信の奥様、大隈綾子はこれらの仕事をこなしながらご主人の面倒もしっかりみています。まさに良妻賢母の鏡でした。


「 ビジネスのスーパーウーマン 」が広岡浅子なら家事の「 スーパーウーマン 」は大隈綾子なのです。




「あさが来た」NHK連続ドラマ。ある日、あさは、東京専門学校を早稲田に設立したという政治家・大隈重信に会に行きます。








大隈氏は、最近まで閣僚を務めていた人物で、彼のような大物の賛同が得られれば、あとに続く者がきっと現れるとあさは考えました。



あさは大隈重信の自宅を訪れると、奥様の大隈綾子役の松坂慶子に出会います。








やっと松坂慶子の登場です。



大女優の松坂慶子が出るだけでワクワクですね。


どんな演技をするのかな?









大隈綾子さんは、大政治家を支えた「良妻賢母」の誉れも高い婦人です。



大隈綾子がいて、大隈重信が存在したんだと言われるくらい大きな存在でした。



当時、大隈重信は政治家としても、早稲田の創始者、教育家としても、毎日多忙な日々を過ごしています。



綾子は


「大隈を一人にすると失敗する」


と言って



大隈の行くところ、必ず綾子夫人が付いていきます。


なんだかラブラブですね。


大隈重信のいるところ、綾子ありです。


大隈重信もよくできた人物のようで、周りには


「うちの番頭」


と言って、綾子を信頼していたようです。


その仲むつまじさは当時の評判となっていました。



大隈はしっかり者の綾子夫人に生涯頭が上がらなかったと言われています。


大隈夫婦は「かかあ天下」です。



旅先で大隈重信に愛妻綾子がキセルを差し出すと


重信は煙草を詰めて返します。


夫人はそれに火をつけて、おいしそうに吸ったなんてエピソードもあります。


なんだか、綾子婦人に頭が上がらない大隈重信の姿が目に浮かびます。



なんだか、現代の夫婦のようですね。
(笑)


何よりも二人の仲の良さをあらわすエピソードです。



綾子は見掛けは無口で控え目だが、度量が大きく、几帳面、気前がよく、義侠心に富み、負けず嫌いです。


「賢く、しかもなかなか胆のすわった女性」


大隈綾子は美人で親分肌なんです



なんだか、大政治家を支えた大隈綾子さん大女優、松坂慶子さんにぴったりの役です。



今日の「あさが来た」大隈重信に大隈綾子と広岡浅子との出会いのシーン、どんな風になるのか楽しみですね。



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