ケイのblog

愛媛県の宇和島出身。現在は横浜市で会社勤務。NHK連続ドラマ『エール』裕一(窪田正孝)音(二階堂ふみ)の主人公とその他ドラマ登場人物をモデル、古関裕而と妻金子の史実と時代背景を比較しながら、このブログでもっとドラマが楽しく見られたらいいなと思っています。

NHK朝の連続ドラマ『エール』■音の母、光子(薬師丸ひろ子)の台詞「二人が接吻しているのを見ちゃったの。汽車はもう走りだした。止まりません。…頭はダメって言ってるけど、心はいいって言ってるの。だから私は認める」こんな無茶苦茶な台詞。テレビドラマで観たことはありません。明かにテレビ劇場芝居■面白いです。私が勝手気ままに書いているブログです。でひ読んでみてください。

カテゴリ:話題 > 芸術

何歳になっても、ふと自分の未熟さに気づきいたたまれなくなる日々。


自分は今まで何をしてきたんだろうかと考える。


 そんな時に昔の故郷の考えたりもする。


未熟だった高校時代の青く苦い青春時代。


楽しかった思い出より、いやでいやで堪らない気持ちが強く地方都市から飛び出した自分。


未熟だった高校時代の青く苦い青春時代。


忘れ去ろうと都会で暮らした日々。


しかし、都会でも満たされない毎日の連続。


故郷でも都会でも変わらない自分に気づいた。


学生時代に読んだ本に高野悦子の「20歳の原点」が今だ忘れられない。


「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という一節から初まる


「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間の持つ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。」


この言葉を噛み締めている。


ああ、完全なる人間にはなれないんだな。


やっぱり。


人間出来ることしか出来ないし、そこにあるものしか掴めない。


なんだかもやもやな気分が晴れた。


今日も頑張ろうか。


ひとり自分に呟いていた。







故郷はどんな味がするのか?

若かりし頃の苦い思い出の味か?

初恋の甘酸っぱいレモンの味か?

遠く故郷を離れて月日が経てど忘れられない故郷があります。


今でも都会の片隅で時々、故郷のことを思い出す自分がいる。


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私の故郷は愛媛県宇和島市。

四国の小さな都市です。


青い海と緑の山に囲まれた三角州の街。

そこで18歳まで生まれ育ちました。


同じ故郷で生まれた人が「ロミオとジュリエット」風な漢詩を作った人がいました。


中野逍遥という人です。

1867年( 慶応3年 )生まれなので夏目漱石と同じ歳です。

28歳で亡くなりました。



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えっ?漢詩?


大学受験のために高校で習ったような気がしますが、漢字だけで続った詩ですよね?


そうです。


漢字だけで綴った詩です。


漢字だからこそ漢字の字が直接頭の中に入って来て不思議に印象に残るんです。


では中野逍遥さんの漢詩で「君を思う」




  思君       


 訪君過台下


 清宵琴響揺


 佇門不敢入


 恐乱月前調


 (読み下し文)


君を訪(と)いて 台下(だいか)を過ぐ


清宵(せいしょう)琴響(きんきょう) 揺らぐ


門に佇(たたず)みて あえて入(い)らず


月前(げつぜん)の調べを乱さんことを恐る


 (現代語)


君を訪ねて、駿河台の屋敷の下を通り過ぎる。


すがすがしい宵のひととき、君の弾く琴のゆったりした音色が響いている。


門のところでたたずんでいるだけ、家に入っていくなんてとてもできないよ。


恐いんだ、月に照らされた君の演奏を乱してしまうのが。




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どうでしたか?


約130年前の中野逍遥の漢詩です。


素敵な漢詩だと思いませんか?


明治時代の人も我々と同じく人を愛し恋をしたんです。


中野逍遥は南条貞子という人に片思いしていました。貞子は田山花袋の友人の姉です。


田山花袋の初恋の相手も貞子だったそうです。


ただ逍遥は告白することなく亡くなったので当の貞子は知らなかったそうです。


逍遥は病没ということですが、想像ですが、けっかくかもしれません。


上の詩のロミオ役は自分ですが、告白もできなかったのですから妄想の詩です。


駿河台は御茶ノ水の駅から神保町方面の地域を指します。病院、書店、楽器店、カザルスホール、画廊喫茶、カフェ、CD屋、カレー屋、立ち食いそば店など若者でにぎわう街です。


明治のころはどうだったのか?屋敷とあるので閑静な住宅街もあったのかもしれません。







六本木ヒルズ、マリーアントアネット展に行っきました。






マリーアントアネット展

http://www.ntv.co.jp/marie/sphone/outline/


ベルサイユの薔薇 」の漫画や舞台を見て育った世代の女性達で一杯でした。


マリーアントアネットは民衆より贅沢三昧をし、王国を財政破綻に導いたとされていますか本当なのでしょうか?


実際の彼女はぜいたく三昧などの悪評とは違い、自分のための城を望まず、本来の持ち主が完成前に逝去し、無人になった離宮に入りました。


有名な「パンがなければケーキをお食べ」という言葉も疑わしく、アントワネットは宮廷内で貧困者のための寄付金を集め、寄付のために自分の子どもにおもちゃを我慢させるなど、貧困者への理解と思いに溢れていました。


実際に王族や貴族の使用金額は国家財政のわずか6%。アントワネットはそのなかのさらに一部しか使っていませんでした。


会場にはマリアントアネットの絵画でうめつくされていました。どの絵も幸せそうな女性の姿が


王室で幸せな人生を送るはずだった彼女も最後はフランス革命で処刑されてしまいます。


歴史に翻弄された女性マリーアントアネット。






写真はマリーアントアネットのプライベートルーム。


現代からみると、そんなに贅沢には見えないですね。






最後に処刑の前の彼女を描いたと言われている絵画が印象的でした。


幸せな王室で人生を過ごした王妃が捕らわれて処刑される運命になる。


彼女は何を考えていたのでしょうか。


マリーアントワネット展、そんな彼女の描かれた絵画を見るだけで必見です。






お土産にはマリーのビスケットを買いました。


マリーという名前はマリーアントワネット妃に由来し、ビスケットのまわりのデザインは家紋を表現しているといわれ、世界中で親しまれている由緒正しきビスケットなのです。


1923年(大正12)。森永が国内向けとして、初めて発売したビスケット。それは、 16種類のビスケットが美しい印刷化粧缶に入った贈答用の詰め合わせでした。その中の一つとして、マリーは誕生しました。


以外なところで、マリアントアネットとわたしたちの身近で食べているお菓子にもつながりがあるみたいです。


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