ドラマでは双浦環モデル三浦環が音の審査をしたり、音楽の指導をしたりしていますが昭和10年以前は彼女は海外にいて日本にはいませんでした。
「お蝶夫人」オペラ歌手として名声を博した三浦環がヨーロッパから帰国したのは古関裕而の『船頭可愛い』がヒットした後なのです。
NHK連続ドラマ『エール』の双浦環は三浦環ではないのだろうかと一瞬、考えてしまいました。
三浦環の略歴は以下の通りです。
1914年より海外に行っており、帰国が1935年なのです。
これではドラマのように音の審査をしたり、教えたりは出来ないですね。
海外から日本に戻った時には既に彼女は51歳になっていました。
ちなみに志村けん演じる小山田こと山田耕作は49歳。三浦環より2歳年下。東京音楽学校の助教授時代に山田耕作を教えています。
■三浦環の帰国後のスピーチ
三浦環が帰国。三浦環はコロムビア専属声楽家だったので、コロムビア主催のレセプションが盛大に開催されました。
ビクターからコロムビアに入社して間もない西條条八十(詩人43歳)出席していました。
三浦女史のスピーチになった時、その終わり頃に彼女はこんなことを言った。
西条八十(やそ)もちろん男性。
「実は私、今まで西條先生を女性の詩人で、西条ハナさんだとばかり思っていましたの!」
八十をハナこれは面白い。
参会者一同大爆笑。さすが高名な西條先生も苦笑しておられた。
機転の効くユーモラスな三浦環でした。
全国各地で、口ずさまれるようになり、「夢もぬれましょ 汐風 夜風」の歌詞。
三浦環「船頭可愛や」を聞いて、「これは素晴らしい。ぜひ私も歌ってレコードに入れたい」との申し込みをします。
古関裕而は、その吹き込みに立ち合いました。
美声の上に、エキスプレッションの巧妙なことは、さすがに世界的歌手。
三浦環が「船頭可愛いや」をレコーディングしたのは曲の大ヒット後であり、レコード販売は3年後でした。
いろんいろな歴史考察をしていくとNHK連続ドラマ『エール』は昭和の歴史とは全くかけ離れた古山裕一(窪田正孝)と音(二階堂ふみ)、その仲間たちの娯楽エンターティナメントになっているみたいです。