NHK連続テレビ小説「エール」で柴咲コウが演じる、世界的オペラ歌手・双浦環(ふたうら・たまき)。音が音楽学校で再び環と出会います。


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今回も柴咲コウさんの歌唱を聞けるのか楽しみです。


日本のプリマドンナ三浦環


日本のプリマドンナ・三浦環に世界のプリマドンナの名声と喝釆をもたらしたものは、まさしく極め付きの名作「マダム・バタフライ」(螺々夫人)でした。


彼女はこの「蝶々夫人」を演じるために生まれ、事実、それを演じ抜いて逝った永遠のオベレッタでした。


公演回数2000回、その超人的な美声とスタミナの秘密はいったい何だったのだろうか。


三浦環の活躍


三浦環は明治17年、東京に生まれ、東京音楽学校在学中、日本人による最初のオベラ公浪「オルフェオ」に参加した。そして、東京音楽学校卒業後ただちに帝国劇場専属のオペラ歌手となり、その四年後、キュービットの矢として飛んで来たのが「マダム・バタフライ」だったのです。


彼女は日本での成功に自信を得ると、以後ヨーロッパやアメリカをはじめ、みずからバタフライそのものと化して世界中をかけめぐったのでした。


三浦環の集中力は凄かった。


第一次世界大戦が始まったばかりのころ、ロンドンで「マダム・バタフライ」を上演することになった。


初日、ドイツのツェッペリン飛行船の空襲にあった。


台本では、いとしのビンカートンの乗った軍艦が長崎に入港、合砲が一発鳴ることになっていたが、大砲は、なんと二発、三発と続けて嗚るのである。彼女はかまわず歌い続けたのである。


絶唱の果て、ふっと気づくと、劇場にはほとんど誰もいなかった。そして「マダム、逃げないと死ぬ。空襲だ!」と誰かが叫んでいた。


三浦環の声は生卵育ち


1918年、イタリアのオペラ歌手カルーソーとホテル「ニッカー」で記念の晩餐会を開いたときのこと


カルーソーは


「マダム三浦、わたしの声はマカロニ育ちですが、あなたの美声は何育ちでしょうか」


とたずねた。


環は


「わたしは蝶々夫人の第一幕の始まる前に、算台裏で生卵を二つ飲みます。つぎの幕のときにも二つ、最後の幕の前にも二つ飲みます」


と答えた。


当時、生卵を飲むのは世界中で日本人だけだったので、カルーソーは二の句がつげなかったという。


三浦環の声帯とスタミナの源はビフテキ


彼女が、その命ともいえる声帯を守るために、毎日ビフテキを食べていた。


声帯にはビフテキが良いのだそうです。


おまけにスタミナもつき、2000回という超人的公演記録は、毎日ビフテキを食べたからそ達成できたものでした。 


三浦環の美声とスタミナは生卵とビフテキによってもたらされたものでした。


しかし、生卵とビフテキを毎日食べるなんて、カロリー高過ぎ、これも凄いことですね。